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室蘭市は強制連行・強制労働犠牲者の街
- 1 :名無しさん :2006/02/23(木) 20:52 ID:d23Gbkbo
- 室蘭市は強制連行・強制労働犠牲者の街ということを忘れるな
第二次世界大戦敗戦前、室蘭には多数の外国人が強制連行され
強制労働させられたという歴史がある。
危険な製鉄所構内労働、過酷な道路工事など、日本国及び室蘭市役所の
大罪を風化させてはならないし、忘れてはいけない。
現在のマスコミは、国家の犯罪であるがごとく報道する姿勢だが、
実は、受け入れをした室蘭市役所と室蘭在住の大企業の罪悪を
決して忘れてはいけない。
このような忌まわしい歴史を持つ室蘭市だからこそ、戦後50年を経過するも
住民性は廃退し、行政も大企業優遇、住民切り捨てであると批判される
のではないだろうか
室蘭市民は、強制連行・強制労働犠牲者への罪を忘れてはならない。
- 17 :名無しさん :2007/05/01(火) 16:35 ID:jCg1yeS2
- 俺の持ってる資料では…
「室蘭には19年秋から川口組出張所270人、日鉄港運200人、室蘭石炭港運100人、
室蘭港運99人(途中で1人死亡したため)全部で699人が割り当てられた。
華工と中国人労務者は、上海や香港あたりの出身者が多く、年齢も18歳から35歳くらいが多く
特に24〜5歳が多かった。
室蘭港運では、本輪西埠頭の貯木場にあった通称「木村飯場」を華工寮として
収容した。全員を3班に分け、炊事班をも編成して港運古参常夫7〜8人で管理した。
このころは、食料はもちろん衣料なども満足になかった時代で、栄養失調のため華工の傷病者が
多く出て、帰国までに25人も死亡した」
…となっているけどね。
どこぞの「室蘭強制連行研究家」の「1861人が強制連行されて30%が死んだ」とは
全然違うけどね〜。
実際は、戦後にこの華工が大暴動を起こして市民・警察と対立、その鎮圧の為にGHQが来蘭した
という事件があったんだけど、その原因が「中国で約束した賃金との差額を支払え!」って
ものだったのさ。つまりちゃんと給料は払っていたわけ。
後は誰も知らないと思うけど、日鉄に働いていた捕虜収容所所長(平手大尉)は
捕虜の死亡率が高いということで戦犯死刑になったんだよ。
- 18 :名無しさん :2007/05/01(火) 21:53 ID:jCg1yeS2
- http://hokkaido.yomiuri.co.jp/tanken/tanken_t020119.htm
>中国人強制労働の実態を克明に記した記録はなかった。
記録は無いそうです。
>「戦時中、裸で毛布を抱え、収容所に向かう人の列を見た」「逃亡に失敗して生き埋めにされた者も……」。断片的ながらも、市民の中には強制労働の実態を記憶していた人がいた。
>「忘れてしまいたい」と忌まわしい過去に、表情を曇らせる市民もいた。
証言だけですね。
>「遺体を火葬する際、飢えに耐えかねて死肉を食う姿もあった」
これは本当でしょうか?
- 19 :名無しさん :2007/05/01(火) 22:08 ID:jCg1yeS2
- http://www.nicchu-doren.org/
日中「友好?」協会
- 20 :名無しさん :2007/05/05(土) 18:50 ID:kO9ULbzQ
- >>17
素晴らしいレスですね
もっと色々教えてください。 風化してしまわないうちに・・・・
- 21 :名無しさん :2007/05/06(日) 22:44 ID:QH1MDWy2
- 室蘭港運の暴動の原因は、賃金の差額を支払えというのが発端であった。
この差額は、戦時中の現地募集に際し、出先の機関が契約した賃金と実際に
室蘭で支給された賃金に差のあったことから、中国人労務者は
「募集ビラ」をかざして…
「中国で約束した賃金との差額を支払え!」と要求を突きつけたのが発端である。
一方、会社側は運輸省から指示されたとおりの賃金を支払っており、くわしい事情を
知らなかったのだからひどく迷惑な話であった。
以下、室蘭港運専務、丸井光三の日誌より…
10月12日
第2華工約30名賃金請求の為来訪。
交渉不調の為暴行、丸井、高見、伊比の3名本輪西華工事務所に連行される。
10月13日
日鋼1号役宅でパミルトン大佐一行と華工の問題で会見。
当方、森島、丸井、林の3名。
室蘭石炭港運、若林、浅井、小笠原の3名。
日鉄港運、福島。
10月14日
午後5時より日鋼1号役宅でカールペーハー少佐と華工賃金の件につき会見。
出席者前日同様。
川口組林出席。
10月15日
午後3時よりパミルトン大佐の招きで日鋼1号役宅に参集。
華工の件につき指示ある。
出席者、
日鋼近田次長、森島、若林、丸井、福島、市長、警察課長、山中道議、山田市議会議長。
10月16日
午後1時より日鋼1号役宅で会社側と華工代表と懇談会を開く。
当方より森島、林出席。
10月26日
日鋼進駐軍事務所で華工と業者との打ち合わせ会を開く。
森島、林出席。
11月10日
第1・2・3華工68名(全員)本日午後9時東室蘭駅発帰還の途につく。
14日博多港発北鮮丸に乗船予定。佐川、田名部付き添いとして同行。
(北鮮丸はおくれて27日出帆)。
- 22 :名無しさん :2007/05/06(日) 22:59 ID:QH1MDWy2
- 室蘭港運の社長だった森島靖雄は、暴動当時を想起して次のように語った。
戦争中は労務者不足のため、運輸省のあっせんで上海から多くの華工を呼び寄せて就労させた。
室蘭は室蘭港運、石炭港運会社および日鉄港運の3部門に各200人ずつ合計600人の配置があり、
それぞれ就労させたが病人や死亡が相当出たし、労働のほうも期待したほどではなかった。
この連中が8月15日の終戦と同時に変じて、戦勝国となって暴れだした。彼らは近くの農家に行って
手当たり次第ブタやニワトリを持ってくるなど好き放題のことをやるので、ほとほと閉口したものだ。
しかも、これを取り締まる警察力は全然無力で、我々はお互いに自己防衛の策をとるよりほかなかった。
街頭で彼らはバスをとめて乗客を降ろし、勝手に運転してどこでも行く始末で
、全くお話にも何にもならない状態であった。
- 23 :18 :2007/05/07(月) 15:52 ID:COSn4RwQ
- 資料…年表
昭和18年(1943)3月25日 日鉄港運(株)設立。
7月10日 室蘭港運設立(株)認可。
7月16日 室蘭石炭港運(株)設立。
9月 イタリー降伏。
10月 室蘭防衛司令部できる(司令官陸軍少尉白井健吾)。
昭和19年 2月1日 道南バス(株)設立。
6月23日 昭和新山できる。
※この年室蘭港運に華工99人配置。
9月18日 兵役年齢17歳に引き下げ。
12月13日 防空疎開始まる。
※青蘭航路運休になる。
昭和20年 4月24日 松尾孝之、室蘭市長に就任。
5月1日 大本営海運統監部を設け船舶運営を直轄。
船舶、港湾を一元運営。
5月7日 ドイツ降伏。
7月14日 室蘭、空襲・艦砲射撃される。
8月15日 終戦
10月7日 米駆逐艦へインズ号入港(米軍1500人室蘭に上陸)
※10月12日 室蘭港運に就労中の中国人労務者ら丸井専務ほかに暴行を働く。
9月16日 GHQ総トン100トン以上の汽船は総司令官の指揮下に
日本商船管理局の運航管理を受けると指令。
※10月13日 ハミルトン大佐以下米軍250人暴動鎮圧の為に来蘭。
(華工68名、11月10日東室蘭駅から帰国の途につく)
※10月15日 日鉄港運の朝鮮人労務者騒ぐ。
12月1日 室蘭港運労働組合を結成。
12月8日 室蘭民報第一号を発刊。
昭和21年 4月10日 戦後初めての総選挙行われる。
- 24 :18 :2007/05/07(月) 16:15 ID:COSn4RwQ
- 昭和20年 12月8日 室蘭民放第一号発刊…「WGIP]の一環でしょうか?
http://members.at.infoseek.co.jp/WGIP/
- 25 :18 :2007/05/07(月) 18:09 ID:COSn4RwQ
- 資料…室蘭港風土記より一部抜粋
「明治末期より大正中期にかけて、室蘭の西部一帯の海岸線は至る所で埋め立て工事が行われ、特に
海岸町より、築地町方面にかけて活発に行われた。
当時の埋め立て工事と言えば、原始的な埋め立て作業で限界を超えた労働が強行され、その
結果悲惨な悲劇が随所に発生した。これらの労働者を収容していた部屋を人々はタコ部屋と言った。
タコ部屋は、現在の増市方面にあったようで、五箇所以上はあったとされている。
小生の両親は商売をしていたので深夜まで灯りがついていた。丁度6月始めの今にも一雨ありそうな
曇天の夜半2時頃、突然裏口よりノックする男がいる。
その男はほどなく棒頭が追いかけてくるので隠して欲しいと必死になって哀願するのである。
父は例によって直ぐに縁の下にかくまうことにした。
この機転の利いた措置は見事に成功した。
聞くところによると、この男は19歳で、東京在住の両親は呉服商であったが、道楽して身を食い
ぶし勘当となった。たまたま北海道には新天地の夢が待っているとの心にもない甘い言葉に若干の
前渡し金を渡されて応じたという。翌朝早々、東京へ送り返されてという。
この男は運がよかったものの、失敗したらそこには地獄が待っていた。
警察の行き届かない当時のタコ部屋は、こうした人々が犠牲になって、文字通り闇から闇へ葬られた暗黒の
世界であった」。
戦時中の中国人強制労働(昭和19年〜昭和20年わずか一年間の)は
この手の話…埋め立て工事、橋梁工事等々の人海戦術による過酷な重労働がベースにあるようですね。
しかし、北海道の明治・大正開拓時代の話と、戦中の一年間の話を同列に扱うのはいかがなものでしょうか?
時代背景も場所も違う二つの事象を同列に扱うのは、
歴史検証上、許される事なのでしょうか?
- 26 :名無しさん :2007/05/10(木) 13:08 ID:NA/d/W4c
- ■THE FAKE OF NANKING - 1
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